愛犬の死 最期の看取り

愛犬の死 最期の看取り

2020年5月 愛犬が亡くなりました。15歳半でした。コロナで自宅待機をさせてもらえていた日なので、最期を看取ることが出来ました。最期の約8時間、このまま見守るだけでいいのか、必死で情報を集めようとしていた自分がいたのでブログに残すことにしました。

愛犬の死 経過

愛犬は1年前のお正月にきつい痙攣を起こしていました。その時から、痙攣止めの薬を毎日飲ませることになり、普段は元気ですが、たまに同じ場所をグルグル回る、足が絡んで歩けないなどおかしな症状の時がありました。年齢的にもいつ亡くなっておかしくないという覚悟は持っていました。

夜鳴き、粗相、耳が聞こえていないなどの症状は年単位で徐々に出てきていました。仕事から帰ってくると、上手にしてある日もありましたが、ほとんど毎日がリビングのところどころにされているオシッコ、ウンチの掃除です。自分自身も思うことはあったと思います。上手に出来ている時はシートを片付けながら「上手に出来たね」と褒めると、喜んでシッポを振っていましたので。

この状態でも、まだまだ生きていくかなと思っていたのですが、きつい痙攣から、ちょうど1年近くなった12月中旬に、またきつい痙攣を起こしました。お医者さんに連れていくと、いつ亡くなってもおかしくない肝臓の数値が出ているとの診断を受けました。「治療をしないという選択もありますが、点滴で改善される可能性もあります。」過度な延命治療はしないという基本方針を持っていましたが、今すぐ死ぬほどグッタリしているわけでもなく、病院でテンションが上がっているのか、少し前とは違い普通に元気に見えます。なので通院での点滴治療を始めました。本当は入院がベストですが人見知りが強い為、弱っているからだのままの入院では、かえって寿命を縮めると判断したからです。

1週間、朝病院に連れて行き夜迎えに行くということを続け、肝臓の数値はマシにはなりました。しかし今度は腎臓の数値が危険信号になりました。なのでここからは、無理をしない程度の通院のみで見守ることにしました。正直、最期の日が年末年始だったら火葬はどうしたらいいのかも考えていました。

ドッグフードを止め、好きな鳥肉と白菜を炊いたものだけで、どうにか年を越し、少しずつ安定はしてきました。そこから5月まで元気で過ごせましたが、ほとんどの時間は寝ていて、食事だけはガツガツ食べる。時間によっては、私のこともわかっていないような鬱っぽい症状の時もあり、痴呆が入っているのかなという感じでした。次第に立ち上げるのも足腰が痛そうで、お水を飲むのも距離間がわからないのか震える顔で時間が掛かり上手に飲めなくなってきました。やっぱりもうすぐ最期なのかなと覚悟はしていました。

愛犬の死 5日間

そして5月のゴールデンウィーク明け、ごはんを食べなくなりました。土曜日です。夫はすぐにでもお医者さんに行って点滴をと言います。私は最期に向かっている過程だからもういいのではという意見でした。人は死ぬ前には食事も水分も取らず、「最期は枯れるように死んでいく。それが一番楽な死に方。」と聞いたような記憶だったので、そうしたいと思っていました。夫の意見は食べなかったら死んでしまうです。夫と話合いの結果、お医者さんに連れていきました。点滴をしてもらったら、帰ってからとても元気です。点滴の力は凄いということと、私の判断は間違えていたのかと反省しました。

しかし、その元気も半日だけ、次の日日曜日にはまた元気がなくなりました。そして火曜日には、もうグッタリと動きません。今度は本当に最期なのかもと一日抱いていました。顔が見えるように赤ちゃん抱っこをして愛犬との時間を過ごしました。別所帯の娘にも連絡を入れました。そんなグッタリ状態が次の日水曜日も続きました。コロナで隔日勤務になっていたので水曜日は私は出勤、自宅待機中の娘が見守っていました。時短で夕方に私が帰宅した時に愛犬は立ち上がって迎えようとしてくれました。朝からずっとグッタリしたまま動かなかったというのに、私の帰宅を知り立ち上がってくれたのです。よく生きててくれました。そして私の為に力を振り絞ってくれたことに何とも言えない気持ちです。

その夜、一晩付き添おうとも思いましたが、状態は変わらずなので、夜は各自のベットで寝ました。夜中1時ごろでしょうか、鳴きました。そんな声も出ない状態ですが、声を振り絞ったように大きな声で鳴いたので様子を見にいきました。寂しかったのでしょう。しばらく傍にいて、また3時間程仮眠をとりました。

愛犬の死 最期の日

木曜日、その日は朝6時頃から呼吸が荒くなったり少し液を吐きはじめました。いつも胃液は黄色っぽいですが、この時からは茶色っぽい汚い色です。吐くたびにシートを替え、床ずれにならにように体の向きを変えました。日月と何も取らないのを心配して、注射器で歯の間から。水を入れてやったのが、ここにきて苦痛になっているのでしょうか。そして口から泡、よだれを出すようにもなってきました。濡れたガーゼで口を拭き、少し水を含ませ口の周りを拭いてやりました。

今度は痰が絡んだようなゼイゼイという大きな呼吸になってきました。この呼吸が見た目とても苦しそうで、このままでいいものか不安で仕方ありませんでした。死前喘鳴というものらしいです。本人に苦痛は無いと言われています。尿毒症は大変苦しむとの記事を見たこともあり、肝臓、腎臓が悪かった愛犬は、尿毒症になっていて、それで苦しんでいるのかと戸惑っていました。往診してもらえる獣医さんを探し、場合によっては安楽死も選択しないと可哀想かなとも思ったほどです。死前喘鳴が6時間ほど続いたでしょうか。次は体に触れると、体が痙攣するようになってきました。かなりきつく体が飛び上がるくらいにビクビクとします。時間につれ目の前に手をかざしただけでも反応して痙攣します。なので、しばらくは体を撫でることも出来ません。15時頃からでしょうか、呼吸が少し静かになり手が車輪を漕いでるような動きをするようになりました。ここで休憩していた娘が交代すると変わってくれたので、愛犬の傍を離れ1時間程、横になりました。

16時過ぎ、娘と交代しました。愛犬はとても穏やかな静かな呼吸になっていました。下の顎を動かす下顎呼吸というものにあたるのかわかりませんが、下の顎をカックンカックンと動かして静かな呼吸です。体を撫でてみました。ピクっと反応しました。私がいることをわかってくれたような気がしました。呼吸に合わせて体を撫でます。数時間前のような過激な痙攣の反応はもうしません。私に摩られてがんばっているよって思えるような呼吸です。しばらくして一瞬、体中に力を入れてプッとしました。そこから10呼吸でしょうか。愛犬は静かに息を引き取りました。すぐ近くにいた娘に、もう最期かもという声も出せませんでした。もう止まると思いながら呼吸に合わせて体を撫でるのが精いっぱいでした。16時35分。

寝かしていたシートにはかわいい小さなころっとしたウンチとオシッコの跡がありました。最期に体中の力を振り絞って排出したのがわかりました。なんとも綺麗な顔で、まだ生きているようでした。

これが我が家の愛犬の死です。何人かの人に聞いていました。亡くなる前に遠吠えをした。腕の中で息を引き取ったなど。経験したのは、思っていたような簡単なものではありませんでした。本当の最期は、抱っこしてあげたくても呼吸の事を考えると出来ませんでした。ドラマのように眠るようにすぐに息を引き取る訳でもありません。体が痙攣してビクビク動いてたのは末端神経が死んでいっているのかなと感じました。命が止まるという過程を教えてくれた愛犬、生前も我が家に幸せな時間をいっぱいくれました。「ありがとう」の感謝でいっぱいです。

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